ヨーロッパの気候は降水量が少なく、畑作には灌漑が不可欠であった。メソポタミア地方から農業が伝播したが、それは灌漑を必要とし、著しく水源等の地理的条件に左右された。しかし、ヨーロッパでは灌漑を駆使して農業生産力を上げるのではない別の方法をとることになる。
それはローマ時代にローマ帝国領内で起こった、耕地を二つに分け半分を耕作、半分を休閑地とする二圃式農業によるドライ・ファーミングであった。休閑地は一年かけて降水を土壌中に保水し、翌年の耕作に使用するというものだった。これによって、灌漑農業よりは単位当りの収量は低下するものの場所的制約から解き放たれ、耕地面積が飛躍的に増加し、農業生産力は大きく向上した。
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中国は黄河・揚子江などの大河が多いものの、内陸部は乾燥地帯が広がり、大河川は氾濫が頻発するなど問題を抱えていた。隋の大運河建設以後、治水・灌漑・水運を一体化して考える水学(すいがく)が発達した。特に北宋以後は増大する人口と食料生産・輸送の観点からさまざまな灌漑・治水方策が提案された。
日本の灌漑は稲作(水田)の伝播とともに拡大し、大和時代の頃にはため池や配水路など計画的な用水施設の設置が行われている。新田の開発と灌漑施設の設置は表裏一体であり、農業土木技術が進歩するにつれて灌漑施設も大規模なものへ変遷した。江戸時代には見沼代用水などを始め、各地で長距離の農業用水路が開発されている。